福岡今昔水物語[福岡]

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蛇口をひねれば、お湯や水がふんだんに出てくる便利な世の中。というか、それがごく当たり前の日常となっています。
実は、昭和以降、長期にわたる渇水を2度も経験した土地。水の大切さと福岡の水の歴史について、ひも解いてみたいと思います。

 

ふくおかの大渇水・・1978年、287日間の戦い

 福岡市では、歴史に残る干ばつが2度ありました。1978(昭和53)年5月20日から翌年3月24日までの287日間にわたる給水制限が福岡市に出されたのが、のこと。トイレの水は止まる、お風呂に入るのも間々ならず、給水車に人が殺到するなど、市民は大変な苦労をしました。
 福岡市水道局の資料によると、給水制限時間は14時間で、13,433台もの給水車が出動。日中は全く水道が流れない状況だったと記憶しています。
 当時、学校でのトイレ対策は切実で、家庭科の先生が先陣に立ち、女子トイレの前に仁王立ち。限られた水を汲み置きして、当番の女生徒と一緒に、バケツリレーで毎日トイレ洗浄に取り組んでいただいたのです。とても印象的な出来事でした。
 夏場での給水制限を体験した福岡市では、ありとあらゆる施設やビルの水道の蛇口に「給水コマ」が取り付けられ、省エネな水の出方に他府県の方々も注目。「福岡は水のエコがしっかりしている」と良く驚かれたものでした。少ない水で顔を洗い、少ない水で髪や身体を洗う、そんなワザもしっかりと身につけた福岡の私たちなのです。

1978(昭和53)年の渇水時、給水車に行列ができた。

1978(昭和53)年の渇水時、給水車に行列ができた。(福岡市提供)

大渇水、再び・・1994年、295日間の経験

 さらに16年後、1994(平成6)年の「平成6年渇水」が再び福岡を襲います。
 8月から夜間給水制限が実施され、10月になってもダム貯水率が30%程度で、給水制限が長期化しました。しかし、ダムなどの施設能力も約7割アップするなど、いろんな経験を積んでいたため、給水制限時間は1日8時間にとどめられ、給水車が出動することはありませんでした。また近隣の市町村では、給水制限の時間も比較的短く抑えることができたようです。
 翌年の4月以降、ようやくまとまった雨が降るようになり、6月1日にようやく295日間にも及んだ給水制限が解除されました。
 その後、2005(平成17)年にも年間降水量1,020ミリという、観測史上3番目の少なさを記録しましたが、給水制限に至ることはありませんでした。
 これは、筑後川からの導水などの水資源開発やコンピューターで制御する配水調整システムの構築、各メーカーが行った節水機器の開発はもちろんのことですが、市民の節水意識の高さの賜物なのだそうです。

博多の飲料水「松原水」は車力で配給された。(福岡市提供)

博多の飲料水「松原水」は車力で配給された。(福岡市提供)

 

松原水から、水道への長き道のり 

 それまでの明治・大正の頃は、「松原水」と呼ばれる東区の千代の松原からとれた井戸水が珍重されて、車力に積んで配給され、けっこうな額で取引されていたようです。また、1896(明治29)年には、福岡市では市民の飲料水を確保するために東区に井戸が掘られたりしましたが、衛生的な水道水を望む声は日に日に高まっていたとのことです。“水問題、上下水道の開設”は、福岡の歴代市長の大きな課題の一つで、予算や内容で議会も大きく揺れに揺れて、たどり着いた水道の歴史がありました。そして、1923(大正12)年に、曲淵ダム(早良区)が完成し、本格的に水道が整備されていきました。
 さて、水問題で歴代市長の頭を悩ませた明治、大正の歩み、大渇水に見舞われた2度の体験など、生活になくてはならない水への思いは尽きません。
 福岡に住む私たちだからこそ、水に感謝して、大切に使っていきたいものですね。

東区にある松原水の井戸水跡。

 

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